読売新聞の感想

読売新聞を読んで思ったことを書きます。

2017年8月18日の読売新聞の感想

訪日客 レンタカー事故防げ

 1面記事。国交省は、訪日外国人観光客の増加に伴って急増する外国人のレンタカー事故対策に乗り出すとのことです。国道や高速道路での急ブレーキなどの走行データを集め、事故が起きそうな場所を特定し、その地点にわかりやすい標識や看板を設置して事故の未然防止を図るということです。

 こういう情報に触れると、自動車教習の記憶がよみがえり、あれは本当に必要かつ十分なのか?という気持ちがわき上がってきます。道路標識の数々を学ばされ、それぞれの適切な意味を正しく認識して従えなければ威圧的な態度での注意を与えられて不愉快な思いをしながら取得した免許証ですが、その意味をきちんと理解していない状態の外国人が運転を許されているうえ、そのような人たちが理解できるような標識の準備が検討されています。そもそもからして自国民にもわかりやすい標識を工夫すればいいだけの話では?

 自動車教習への私怨が色濃く出てしまった見苦しい感想となってしまいました。

 

国際経済面 「言い訳探し」脱却の時

 日本の財政再建について書かれた記事。国の歳出と税収のバランスはいま、かなり悪くなっています。しかしながら、現状財政への危機感は高まっていません。正直自分も、国の借金が多くてヤバいらしいということは知っていますが、なにがどうヤバいのかはよくわかっていません。そんななか、日本のこれからをどうするかの方策の一つとして「シムズ理論」という経済理論に注目が集まっているそうです。簡単にまとめると、以下の引用文になります。

      1. デフレ脱却に向けて政府が増税を否定したうえで、財政支出を増やす
      2. 国民は増税に備えて貯蓄する必要がなくなる
      3. 「物価が上がる」との予測が広がり、その前にモノを買おうとして消費が増える
      4. 一時的に財政は悪化するが、物価上昇(インフレ)で税収が増え、財政再建にもつながる

  このシムズ理論。マジかよ、という気持ちです。記事でも指摘されていましたが、2.、3.が実際に起こるかというところが非常に疑わしいです。経済理論って、見ると大体マジかよと思っちゃうものが多いのですが、実際予測が当たった理論ってどれくらいあるのでしょうか。詳しい人に聞いてみたいところです。

 

愛なき世界

 一回もこのブログで感想を書いていませんが、第1話から欠かさず読んでいる三浦しをんさんの連載小説です。T大理学部で植物学の研究をしている女子大学院生(博士課程)が主人公の小説です。完結していない小説についての感想を書くのはアレかなぁと思って書いてなかったのですが、そんな制限自分で設けるのもアレだし、言いたさが溜まってきたので書きます。

 大衆小説として、理系女子(研究一本槍)とその恋を主軸に置いているのは、そういうものか、と思って読み進められます。そしてそのなかで、研究内容をわかりやすくかみ砕いて説明しようとする姿勢もいい感じです。キャラ立てのために、理系研究室によく「いそう」な面々をつくっているのも、物語を作るうえでは必要だろうと思われます。

 しかし、この小説を読んでいて気になるところがいくつかあります。

1.主人公の理系知識

 最近出てきたところに、「PCR電気泳動ゲルに直接触れるとあぶない」 というところがあります。これについて、主人公は「直接触れると危険らしいので」というように知識のない人に説明していました。ここで、主人公はその内実はよくわからないけれど、というニュアンスが含まれていたように読み取れましたが、PCR電気泳動ゲルを扱うような博士課程の学生がその簡単な原理を理解していないはずはなく、違和感がありました。また、タッパー容器のことを「無機物」と言っている場面もありましたが、有機物です。「主人公はどっぷり理系漬けでほかのことに全く興味が持てない一風変わった女子」というふうに話を進めているのに、かなり初歩的なところで知識が浅いと違和感がすごいです。

2.偏見みたいなものがすごい

 理系研究に携わる人は、一般の人に見られるような感情が表出されることは少なかったり鈍かったりしてアレだが、時には一般の人に見られるような感情を表出することもあり、そこのギャップがよい、というような描写があります。必ずしも筆者がそのような偏見を持っているわけでなく、物語としての面白さを出すための演出であるのだろうと思われますが、やっぱり偏見っぽくてあまり好きになれません。そもそも、感情の表出が少なかったり鈍かったりするのは、理系の思考プロセスを経る人に特有なわけではないのです。最終的に、たぶん主人公の女子大学院生は恋に落ちるのだろうと思われます。彼女にアプローチをかける料理人の男性は、理系の知識が皆無の、理系のことを全く知らない読者にとって寄り添いやすいタイプで、その人の情熱にほだされて...という結末が予想されます(もしこれと違う結末になったら、あっと驚きます)。そういう風にして、一般に理解しがたい考え方を持つ女性が、一般に近い形で落ち着く、という展開になってしまうと、偏見が助長されてしまっていやだなと思います。

3.とはいえ、欠かさず読めるくらい面白い

 批判的な感想が連なりましたが、でもこの小説は欠かさず読めるくらい面白いです。三浦しをんさんという小説家の筆力のなせる業でしょう。僕にとっては気になる部分が多いですけれど、理系の、特に生命科学実験系から遠い人には違和感なく面白く読めるのかもしれません。

 

おわりです。

 

 

2017年8月14日の読売新聞の感想

帰省で4日間新聞をためていました。ここしばらく、ほかに習慣づけてやることができたので新聞は斜めにしか読まず、したがって感想も特に浮かばない毎日でした。それはこれからもしばらく続きそうです。とはいえたまには書くか、という気分になることもあります。それが今日です。

 

読売歌壇

 今週の好きな歌はこれです。

 毛糸編む母に何でも話してた編み目数える邪魔してごめんね

 (交野市 山崎美加さん 選者:栗木京子さん)

 大人になって子供のころのことを思い出して、あぁあれは悪かった、とか、未熟だったな、と思うことは多いですね。その思い出の一つとして、編み物をする母とそばで話しかける娘の光景は、大変美しくみえます。ごめんね、という言葉の、いい意味での気安さがまたよいです。ごめんね、と言われる母は、そのことをよく覚えてないかもしれませんし、覚えていてもごめんねと言われる筋合いを感じないことと思います。この時期に詠まれた歌ですから、母はもう帰らぬ人なのかもしれません。そう思うとまた、違った感情が湧きます。

 帰省した実家で、ちいさな姪っ子たちと会って、たくさん話をしてきましたが、あの一場面一場面のどれかが、彼女らの記憶のどこかに住み着くのだろうか、と自分に重ねながら、この歌を味わいました。

 

おわりです。

2017年7月31日の読売新聞の感想

がん治療の明日1⃣ 遺伝子解析 最適薬ずばり

 近年、がん患者のゲノムについて、特定の遺伝子変異の有無を調べることで患者にとって最適な薬を選ぶ(がんゲノム医療)ことができるようになってきているそうです。その点に注目した連載です。

 抗がん剤治療では、がんが発見された臓器に「効いた実績がある」薬を使用していました。しかし、その薬が効くかどうかは個人差があり、運よく完治まで持っていける人もいれば、全く効かずにがんが進行してしまう人もおり、精度に問題があります。一方で、がんゲノム医療は、患者のゲノムを調べたうえでそれに効く薬を選べるので、効果が高い治療法です。これにより、無駄な投薬を防ぐことができるため、患者への負担はもちろん医療費の軽減にもつながります。

 この治療をする場合、患者の遺伝子解析を行う必要がありますが、日本では今のところ保険がきかず、一部の病院が研究目的や自費診療(40~100万円)で行っているにすぎないといいます。(来年度中に一部の病院での保険適用を可能にする制度導入を目指しているそうです)

 データが溜まってきて、実用化して大きな効果が得られるようになったということでしょうか。抗がん剤オプジーボの価格が高いこと一時期話題になりましたが、大変高額な薬代が大きく軽減される可能性があるので、早く一般的な方法として定着してほしいです。

 

おわりです。

2017年7月24日の読売新聞の感想

新卒採用 中小苦戦

 今年度の新卒採用で、中小企業が苦戦を強いられているそうです。人手不足のために大手企業が採用を積極的に行っていることもあり、売り手市場になっていること、学生の志向が大手に向いていることが原因のようです。

 そんななか、なかなか採用できない中小企業が、社員の採用や研修、入社後の生活支援などを他社と共同で進める取り組みが行われているそうです。合同研修を行ったり、2~3か月に一回、有志で懇親会やボウリング大会などを開催したりしているそうです。中小企業の新入社員は採用数が少ないため社内で孤立しがちなんだそうですが、このような取り組みにより他社の知り合いと交流でき、いい感じになっているとのことです。

 うちの会社は中小企業ですが、他社とのかかわりは全くありません。同期もなんとなく孤立してやめてしまい、僕一人になってしまいました。寂しい限りですが、上記のような取り組みがなされたらめんどくさくてかなわないナと思いました。わがままですね。

 

読売歌壇・俳壇

 今週はこの歌が好きでした。

 よく笑う孫二十歳つらかろうに看護師として歩み始める

 (福知山市 河野都さん 選者:栗木京子さん)

 孫への思慮の深さに打たれました。つらかろうに、とは。孫が生まれ、育ち、大きくなって職を得た。ここで、多くの場合「希望に満ちた未来へはばたけ」的な流れになりがちですが、そうはならない。しかもそれを、「よく笑う」孫に思う。孫が実際どのように思っているかは明らかではありませんが、ただ単純に笑っているのではなく、なにかを隠すような陰りを含んだ笑いなのでしょうか。そんなふうに、心配かけまいとする孫なのです。主体の持つ慈愛と孫のふるまいとの深みをぐいっと感じさせてくれる歌でした。

 俳句はこれです。

 夏の月些細なことを思ひ出す

 (新潟市 小泉浩子さん 選者:矢島渚男さん)

 俳句って、写真ですね。この写真、とってもきれいです。

 

おわりです。

2017年7月3日の読売新聞の感想

近ごろどっかりとサボっていました。読んでも読んでも、ふーんとしか思わない記事とか、大変なことだ、と思ってもそれ以上なんとも言えなかったりという毎日が続いていました。だからといってサボり続けてもせんないので、ここらで一つ何か書きます。

 

読売歌壇・俳壇

 今週はこの歌です。

 干し柿を盗みはしたが三ケ月来ねば気になる猿の赤顔

 (栃木県 斉藤宏寿さん 選者:小池光さん)

 関係性は、どこか強引でないと生まれないもの。猿の「盗み」が関係性を生み出しました。初めの印象は悪くとも、そこにどことなく寂しさを覚える、という関係性が最近では見られなくなっている気がします。一度でも良くないところが見えればそこでシャットアウトしてしまうような。この歌は、忘れがちなおおらかさを見せてくれたように思いました。

 

 俳句はこちら。

 六月の空六月の猫と僕

 (塩尻市 神戸千寛さん 選者:宇多喜代子さん)

 夏よ!!という感じですね。

 

おわりです。

2017年6月19日の読売新聞の感想

北朝鮮の市民生活分析

 伊藤亜人(あびと)東大名誉教授が、『北朝鮮人民の生活』(弘文堂)を刊行しました。その要約記事が載っていました。

 

北朝鮮人民の生活--脱北者の手記から読み解く実相

北朝鮮人民の生活--脱北者の手記から読み解く実相

 

 

 伊藤氏は、脱北者に、自由なテーマ・分量で何度でも手記を書いてもらい、見えてくる社会の実相を分析した。

  このようにして得た情報には以下のようなものがあったそうです。

 ・社会身分は世襲制で、職業や居住地の選択に自由がない

 ・「国の顔」である平壌からは、障害者は追放される

 ・大人は職場単位で自己批判などを行う毎週の「総和」に参加しなければならない

 また、意外なのが「北朝鮮社会は統制が厳しいというわけでもない」という事実でした。取り締まり側も、自分の生活や守る家族があるため、着服、賄賂、闇取引が横行しているそうです。そのため、誰も責任を取らない構造がそこにあるとのこと。このように、市民が日常的に不正をし、それを取り締まる側も不正をすることで互いにもたれ合った生活が成り立っていることが、北朝鮮の意外な堅固さを作り上げている、との分析になっています。この構造のもと北朝鮮では、自らの才覚で生き抜かなければならない、という意識が強くあるため、脱北して制度に守られた環境に入ると「生きるという実感がなくなった」と話す人もいるそうです。

 この「持ちつ持たれつの構造で、意外な堅牢さを醸し出す」という部分がとっても面白く感じました。たとえば、地震に対応する免震構造のように、衝撃に対して形を変えることで身を守る、ぐにゃぐにゃしているけどひとかたまり、という得体のしれないものがうごめく様子が脳裏に想像されました。

 北朝鮮は、私たちにとって謎の存在で、国家元首の動きは伝えられるものの国民の様子は「なんか貧困なんだろうなぁ」くらいのイメージしかない人が多いのではないでしょうか。当然ながら、国家があるということは国民がおり、その生活が営まれているわけなので、そこにはなんらかの文化や文明があります。そこにスポットを当ててまとめた書物ということで、かなり興味深いです。

 

おわりです。

2017年6月17日の読売新聞の感想

性犯罪を厳罰化 改正刑法成立

 性犯罪の厳罰化が盛り込まれた改正刑法が成立したそうです。大きな問題点とされていた親告罪の撤廃がなされ、被害者の告訴なしに刑事事件化ができるようになりました。被害を受けてなお、大変な思いをして裁判を行う必要があった状況が改善されます。法定刑も、下限「懲役3年以上」から「懲役5年以上」に引き上げられます。

 性犯罪の厳罰化は大いに賛成です。個人的な感情では、もっと厳しくしてもいいのではないかとも思っています。

 ニュースそれ自体は、あーなるほど、といった感じなんですが、このような話題になると決まって以下のような意見が取り上げられます。

性行為では相手の同意や意思の尊重が大切なことをきちんと教えないなど、教育現場の取り組みが不十分だ 

  教育現場とは何を指しているのか、ここでは明確ではありませんが、学校のことと想定します。こんなことを、学校の取り組みの責任にしていいのでしょうか。しかも「性行為では」などという言葉までつけて。何においても相手の同意や意思の尊重は大切なので、それを性行為にフォーカスして教えろ、と教育現場に要求するのは間違っていると思います。国民の大多数が同じような義務教育を受けており、大多数が性犯罪を犯していない現状に対して「教育が不十分だ」と言うのは、「なんでもいいからどこかに責任を負わせたい」という考えに基づく乱暴な意見に思えます。(一応ですが「大多数が犯していない」の根拠を示します。新聞から読み取れたのは、「2013年に送致された強姦事件は888件」というところです。潜在強姦事件がその10倍あるとしても全国民の0.0x%/年にすぎません)

 だからと言って、どうすれば事件を減らせるかといえば効果的な具体策を出せません。やはり、人が各々被害者になり得ることを想定して危険な目に遭わないように気を付けることしか、意識的にはできないのではないでしょうか。それこそ、共謀罪ではありませんが内心の自由を奪うような法律で罰していく、くらい異常なやり方を取らないと、「教育現場の責任」論者の望むような未来はやってこないと思います。

 性犯罪許すまじ、というのは根底にありますが、その責任の所在、取り組みの方向性をとりまちがえると、あまり幸せな結末にはならないのでは、という話でした。

 

おわりです。