読売新聞の感想

読売新聞を読んで思ったことを書きます。

2017年7月31日の読売新聞の感想

がん治療の明日1⃣ 遺伝子解析 最適薬ずばり

 近年、がん患者のゲノムについて、特定の遺伝子変異の有無を調べることで患者にとって最適な薬を選ぶ(がんゲノム医療)ことができるようになってきているそうです。その点に注目した連載です。

 抗がん剤治療では、がんが発見された臓器に「効いた実績がある」薬を使用していました。しかし、その薬が効くかどうかは個人差があり、運よく完治まで持っていける人もいれば、全く効かずにがんが進行してしまう人もおり、精度に問題があります。一方で、がんゲノム医療は、患者のゲノムを調べたうえでそれに効く薬を選べるので、効果が高い治療法です。これにより、無駄な投薬を防ぐことができるため、患者への負担はもちろん医療費の軽減にもつながります。

 この治療をする場合、患者の遺伝子解析を行う必要がありますが、日本では今のところ保険がきかず、一部の病院が研究目的や自費診療(40~100万円)で行っているにすぎないといいます。(来年度中に一部の病院での保険適用を可能にする制度導入を目指しているそうです)

 データが溜まってきて、実用化して大きな効果が得られるようになったということでしょうか。抗がん剤オプジーボの価格が高いこと一時期話題になりましたが、大変高額な薬代が大きく軽減される可能性があるので、早く一般的な方法として定着してほしいです。

 

おわりです。

2017年7月24日の読売新聞の感想

新卒採用 中小苦戦

 今年度の新卒採用で、中小企業が苦戦を強いられているそうです。人手不足のために大手企業が採用を積極的に行っていることもあり、売り手市場になっていること、学生の志向が大手に向いていることが原因のようです。

 そんななか、なかなか採用できない中小企業が、社員の採用や研修、入社後の生活支援などを他社と共同で進める取り組みが行われているそうです。合同研修を行ったり、2~3か月に一回、有志で懇親会やボウリング大会などを開催したりしているそうです。中小企業の新入社員は採用数が少ないため社内で孤立しがちなんだそうですが、このような取り組みにより他社の知り合いと交流でき、いい感じになっているとのことです。

 うちの会社は中小企業ですが、他社とのかかわりは全くありません。同期もなんとなく孤立してやめてしまい、僕一人になってしまいました。寂しい限りですが、上記のような取り組みがなされたらめんどくさくてかなわないナと思いました。わがままですね。

 

読売歌壇・俳壇

 今週はこの歌が好きでした。

 よく笑う孫二十歳つらかろうに看護師として歩み始める

 (福知山市 河野都さん 選者:栗木京子さん)

 孫への思慮の深さに打たれました。つらかろうに、とは。孫が生まれ、育ち、大きくなって職を得た。ここで、多くの場合「希望に満ちた未来へはばたけ」的な流れになりがちですが、そうはならない。しかもそれを、「よく笑う」孫に思う。孫が実際どのように思っているかは明らかではありませんが、ただ単純に笑っているのではなく、なにかを隠すような陰りを含んだ笑いなのでしょうか。そんなふうに、心配かけまいとする孫なのです。主体の持つ慈愛と孫のふるまいとの深みをぐいっと感じさせてくれる歌でした。

 俳句はこれです。

 夏の月些細なことを思ひ出す

 (新潟市 小泉浩子さん 選者:矢島渚男さん)

 俳句って、写真ですね。この写真、とってもきれいです。

 

おわりです。

2017年7月3日の読売新聞の感想

近ごろどっかりとサボっていました。読んでも読んでも、ふーんとしか思わない記事とか、大変なことだ、と思ってもそれ以上なんとも言えなかったりという毎日が続いていました。だからといってサボり続けてもせんないので、ここらで一つ何か書きます。

 

読売歌壇・俳壇

 今週はこの歌です。

 干し柿を盗みはしたが三ケ月来ねば気になる猿の赤顔

 (栃木県 斉藤宏寿さん 選者:小池光さん)

 関係性は、どこか強引でないと生まれないもの。猿の「盗み」が関係性を生み出しました。初めの印象は悪くとも、そこにどことなく寂しさを覚える、という関係性が最近では見られなくなっている気がします。一度でも良くないところが見えればそこでシャットアウトしてしまうような。この歌は、忘れがちなおおらかさを見せてくれたように思いました。

 

 俳句はこちら。

 六月の空六月の猫と僕

 (塩尻市 神戸千寛さん 選者:宇多喜代子さん)

 夏よ!!という感じですね。

 

おわりです。

2017年6月19日の読売新聞の感想

北朝鮮の市民生活分析

 伊藤亜人(あびと)東大名誉教授が、『北朝鮮人民の生活』(弘文堂)を刊行しました。その要約記事が載っていました。

 

北朝鮮人民の生活--脱北者の手記から読み解く実相

北朝鮮人民の生活--脱北者の手記から読み解く実相

 

 

 伊藤氏は、脱北者に、自由なテーマ・分量で何度でも手記を書いてもらい、見えてくる社会の実相を分析した。

  このようにして得た情報には以下のようなものがあったそうです。

 ・社会身分は世襲制で、職業や居住地の選択に自由がない

 ・「国の顔」である平壌からは、障害者は追放される

 ・大人は職場単位で自己批判などを行う毎週の「総和」に参加しなければならない

 また、意外なのが「北朝鮮社会は統制が厳しいというわけでもない」という事実でした。取り締まり側も、自分の生活や守る家族があるため、着服、賄賂、闇取引が横行しているそうです。そのため、誰も責任を取らない構造がそこにあるとのこと。このように、市民が日常的に不正をし、それを取り締まる側も不正をすることで互いにもたれ合った生活が成り立っていることが、北朝鮮の意外な堅固さを作り上げている、との分析になっています。この構造のもと北朝鮮では、自らの才覚で生き抜かなければならない、という意識が強くあるため、脱北して制度に守られた環境に入ると「生きるという実感がなくなった」と話す人もいるそうです。

 この「持ちつ持たれつの構造で、意外な堅牢さを醸し出す」という部分がとっても面白く感じました。たとえば、地震に対応する免震構造のように、衝撃に対して形を変えることで身を守る、ぐにゃぐにゃしているけどひとかたまり、という得体のしれないものがうごめく様子が脳裏に想像されました。

 北朝鮮は、私たちにとって謎の存在で、国家元首の動きは伝えられるものの国民の様子は「なんか貧困なんだろうなぁ」くらいのイメージしかない人が多いのではないでしょうか。当然ながら、国家があるということは国民がおり、その生活が営まれているわけなので、そこにはなんらかの文化や文明があります。そこにスポットを当ててまとめた書物ということで、かなり興味深いです。

 

おわりです。

2017年6月17日の読売新聞の感想

性犯罪を厳罰化 改正刑法成立

 性犯罪の厳罰化が盛り込まれた改正刑法が成立したそうです。大きな問題点とされていた親告罪の撤廃がなされ、被害者の告訴なしに刑事事件化ができるようになりました。被害を受けてなお、大変な思いをして裁判を行う必要があった状況が改善されます。法定刑も、下限「懲役3年以上」から「懲役5年以上」に引き上げられます。

 性犯罪の厳罰化は大いに賛成です。個人的な感情では、もっと厳しくしてもいいのではないかとも思っています。

 ニュースそれ自体は、あーなるほど、といった感じなんですが、このような話題になると決まって以下のような意見が取り上げられます。

性行為では相手の同意や意思の尊重が大切なことをきちんと教えないなど、教育現場の取り組みが不十分だ 

  教育現場とは何を指しているのか、ここでは明確ではありませんが、学校のことと想定します。こんなことを、学校の取り組みの責任にしていいのでしょうか。しかも「性行為では」などという言葉までつけて。何においても相手の同意や意思の尊重は大切なので、それを性行為にフォーカスして教えろ、と教育現場に要求するのは間違っていると思います。国民の大多数が同じような義務教育を受けており、大多数が性犯罪を犯していない現状に対して「教育が不十分だ」と言うのは、「なんでもいいからどこかに責任を負わせたい」という考えに基づく乱暴な意見に思えます。(一応ですが「大多数が犯していない」の根拠を示します。新聞から読み取れたのは、「2013年に送致された強姦事件は888件」というところです。潜在強姦事件がその10倍あるとしても全国民の0.0x%/年にすぎません)

 だからと言って、どうすれば事件を減らせるかといえば効果的な具体策を出せません。やはり、人が各々被害者になり得ることを想定して危険な目に遭わないように気を付けることしか、意識的にはできないのではないでしょうか。それこそ、共謀罪ではありませんが内心の自由を奪うような法律で罰していく、くらい異常なやり方を取らないと、「教育現場の責任」論者の望むような未来はやってこないと思います。

 性犯罪許すまじ、というのは根底にありますが、その責任の所在、取り組みの方向性をとりまちがえると、あまり幸せな結末にはならないのでは、という話でした。

 

おわりです。

2017年6月14日の読売新聞の感想

JR西脱線 歴代トップの責任認めず 

 2005年4月のJR福知山線脱線事故(死者106人の大事故です)について、当時のダイヤや線路の安全管理についての責任の有無が争点となっていた裁判が終結したそうです。ダイヤの策定や線路の管理責任があったJR西日本の歴代社長3人が被告となっていましたが、全員が無罪という判決になりました。

 1996年に、事故現場のカーブを急角度にする工事が完了し、その翌年に快速電車の本数を増やすダイヤ改正が行われました。このことについて「カーブが急角度になったこと、ダイヤ改正を行って本数を増やしたことから、事故の危険性は予見できたのに、自動列車停止装置(ATS)の整備を指示すべき注意義務を怠った」、「運転士が大幅な速度超過をすれば事故が発生するという認識があれば、注意義務が発生する」という主張で告訴されていました。

 これに関し、

  1. 事故前の法令ではATSの整備は義務でなく、大半の鉄道事業者は整備していなかった
  2. JR西の管内に現場と同様のカーブが2000か所以上あるため、現場のカーブだけが特別に危険だと予測することは大変困難

という2点を挙げ、無罪が確定したようです。

 事故当時、制限時速を45 km/hも上回る115 km/hの速度で脱線してしまったということで、JR西日本は安全への注意が欠落していたとの責めは免れえませんが、この裁判の判決に関しては僕としては納得がいきます。もちろん、被害者遺族が「トップが罰されなくては今後このようなことは繰り返される」と主張する気持ちはわかりますが、それでも「トップの責任」という意味ではあまりにピンポイントすぎて負いきれないだろうと思います。罰される誰かが存在しないのは、やりきれないとは思いますが…

 

おわりです。

2017年6月11日の読売新聞の感想

文外交 手詰まり

 見出しでちょっとウケてしまいました。韓国の政権は、大統領の就任から間もないのに各閣僚の良くない所をあげつらわれて辞職・更迭の流れが相次いでいるようです。

 アメリカとはTHAAD(ミサイル迎撃システム)の配備に関して(事実上)もめています。文大統領的には、(小池都知事よろしく)その安全性や運用のための調査をしてから導入したいのでもう少し時間をくれ、という態度ですが、アメリカ側は、さっさと導入させたいのです。一応アメリカ側は文大統領の姿勢に理解を示していますが、内心はイライラしているようです。

 また、北朝鮮との対話路線で行くという文政権ですが、北朝鮮には完全に無視されているみたいです。韓国は北朝鮮からの接触申請を15件承認している一方、北朝鮮側は接触自体を拒否。南北離散家族の面会再開には、脱北した人の送還が条件ということで、実質無理です。

 日本も政治やなんかで表舞台に立つ人に、本筋とは違うところで厳しいよなぁと思いますが、韓国もそうなんだなぁと強く感じました。話を聞くに、閣僚候補の人が行ってきたことは確かに批判されてしかるべきなことが多いですが、大統領不在の緊急事態がしばらく続いたのにスタートアップでがたついてしまってはその先何にもならないのではないでしょうか。それは文大統領の任命責任とか、更迭される閣僚の資質の問題だけではないと思うのですが。

 

ページの向こうに 物理学者が生命現象に挑戦

 地球科学者の大河内直彦さんが、本を紹介するコーナー。基本的には理工学の本が紹介されることが多いです。

 今回は、かの有名な物理学者シュレーディンガーが著した『生命とは何か』が紹介されていました。

畑違いの分野に正面から挑む研究は往々にして陳腐な結末を迎えるものだが、本書は数少ない成功例の一つである。 

  この本が書かれたとき、DNAの存在はまだ解明されていませんでしたが、シュレーディンガーは「非周期性結晶」と名づけた物質の存在を予言しました。これはのちのDNAのことでした。1944年にこの本が出版され、9年後にDNAが発見されます。

量子力学の確立に大きく貢献した著者とはいえ、本書が書かれた頃にすでに隆盛となりつつあった素粒子物理学に関わることはなかった。 時代に取り残されてしまった理論物理学者が書いた、時代を超越した名著なのである。

  このコラムはこのような言葉で締めくくられています。科学の世界では、どんなに苦労してつくった理論も、正しくなければ採用されず日の目を浴びません。完成した理論は、泥臭さが排されスタイリッシュに仮定から結論へと至ります。それでも、その工事現場のようなものはどこにだって存在します。工事現場に触れるのは大変しんどいのですが、シュレーディンガーの本ならちょっと読んでみようかなという気になって注文しました。

 

暗闇の合コン 外見より内面

 完全にアイマスク装着状態で、食事や会話を楽しむ。ときには握手もする。そんな合コンが近頃都内のどこかで行われているそうです。暗闇の中で互いが互いを気に入れば、会の終了時に連絡先を交換できるが、そうでなければ互いの姿を見ることはない…という徹底したシステム。

 視覚以外の感覚に異性のマッチングを求めるのは、スリリングで面白いなあと思いました。ともすれば会話の内容と表情やそもそものルックスですべてが決まってしまう初対面の関係の中で、そこをシャットアウトし、声質や肌触り、それに見た目以外のところから来る空気感だけで判断を促す、というのは斬新です。

 

おわりです。