読売新聞の感想

読売新聞を読んで思ったことを書きます。

2017年5月9日の読売新聞の感想

読売歌壇・俳壇

 今週はこの歌。

 お子さんの長所と短所書く欄に私の期待を書いた気がする

 (千葉市 西村恵子さん 選者:栗木京子さん)

 素直な自省の歌です。しかし、期待(≒理想)なきところに成し遂げられるものはありません。こんなふうに思えるなら、決して理想を押し付けたままほったらかしにはしないでしょう。

 

 俳句はこれが好きでした。

 あんなにも落ちたる今も椿の木

 (春日部市 星道夫さん 選者:正木ゆう子さん)

 これだけで、こんなにも様子を脳裏に浮かばせてくれるとは、と驚きでした。情景と感情の情報量が多い…すごい!

 

おわりです。

2017年5月1日の読売新聞の感想

読売歌壇・俳壇

 今週はこの短歌。

 身の細るほどの恋など知らずきてもっとも若きいまを生きおり

 (浜松市 藤田文子さん 選者:栗木京子さん)

 誰にとってもいまはもっとも若い時。若かったころに多少悔いはある、とくに燃えるような恋がしたかったという思いはあれど、もっとも若いいまだって生活に愛着がある。春の午後という感じがしました。

 

 俳句はこれです。

 永き日やこゝろゆくまで耳ほじる

 (東京都 杉中元敏さん 選者:小澤實さん)

 深追いしてしまうときありますよね。あまり注目されない耳かきを句の題材にもってきたところにおっ、と思いました。

 

短歌あれこれ 青春を詠む

 歌人の染野太朗さんが、青春詠二首を紹介しています。

 わたしまだ自分を信じきれてない褒められるたび触れる薄ら氷(うすらい)

 青空を歩くみたいに恋をした近くて遠い君は日輪

(二首とも神野優菜さんの作品)

 ティーンの短歌って、いいんですよね。特有のままならなさとか、不満とか、自分の未熟さへの悔しさとかが出ているものなんかとてもよい。僕ぐらいの年頃でもおなじような気持ちになることはあっても、初遭遇ではないのでなんだかこずるく処理してしまう。いざアウトプットするかと思っても、「大人なのに」みたいな気持ちに邪魔されてしまう感じもある。

 年齢によってできること、できないことは確実にあるという思いが強くなります。いつできなくなるかわからないので、できるようになったことを今のうちにたくさんやっておかないと。

 

おわりです。

2017年4月29日の読売新聞の感想

解説スペシャル ゲノム編集 もろ刃の剣

 最近話題のゲノム編集技術の現状と問題点について解説されている記事でした。ゲノム編集は、非常に簡単に(といっても面倒な工程はありますが)遺伝子改変ができる技術です。以前の技術に比べて、狙った部分を精度よくいじくることができるのでかなり革新的です。とはいえ、その改変精度は100%ではないので、思わぬ遺伝子変異が入り重篤な結果を引き起こすことは十分あり得ます。また、いわゆる「デザイナーベビー」の誕生には倫理的な問題があります。

 北大のある教授は「偏った価値観に基づき、特定の外見や能力を求める改変が(何世代も)繰り返されれば、人類の多様性が失われかねない」と述べているそうです。

米・英・中国では、ゲノム編集技術の研究に関する指針が示されていて、ゲノム編集した受精卵を子宮に戻す臨床応用は軒並み禁止されていますが、日本にはいま、全く規制がない状態だそうです。かろうじて、国の生命倫理専門調査会が「受精卵へのゲノム編集の臨床利用は容認できない」という見解を示しているだけです。そのため究極的には、日本国内で「デザイナーベビー」を産み出すことができます。

 ゲノム編集技術は非常に便利なので、人間以外への応用は規制されないほうがいいと思っています。個人的には、「デザイナーベビー」は気持ち悪くて嫌なので禁止してほしいです。ただ、記事にあった北大教授の意見にちょっと疑問を持ちました。

 人類の多様性は、デザイナーベビーの技術があるとないとに関わらず変わらないと思います。完全な仕様書があって、全部の人間をその通りに寸分たがわず作ります、というのであればその懸念もわかりますが、そこまでどこもかしこも改変するわけでなし、ただ一種類のDNA配列に落ち着くなんてことはないと思われます。また、人類の多様性は遺伝子配列だけに依存しておらず、その時々の価値観が影響するはずです。仮に、全人類が同じ見た目で同じ能力になったとしても、その中に他者との差別化を図りたくてしょうがない個体は絶対に登場し、その個体はゲノム編集技術を使って変化を望むでしょう。それが様々な場所で同時多発的に起こると考えられるので、逆に多様性は増すことも考えられます。つまり僕が言いたいのは、多様性が失われてしまうという反論は無理筋だということです。

 

時代の証言者 湯川れい子2⃣  心躍る大物インタビュー

 ジャズ評論家湯川れい子さんのこれまでを語る連載記事。25歳のとき、当時のジャズスター アート・ブレイキーさんと、ザ・ジャズ・メッセンジャーズというグループのインタビューをお願いされたそうです。英語もよくわからない状態でしたが、即仕事を受け、当時大変高価だったテープレコーダーを買いインタビューに臨んだそうです。後日録音を聞くと、アート・ブレイキーさんが答えている最中、言葉を探して考えている途中で、次の質問をしてしまっていたことがわかって冷や汗をかいたというエピソードも。

 文章の中で、若いからできた、というようなことが書いてありましたが、そんなに年が離れていない僕にはない胆力と行動力だ…とかなり尊敬の念を抱きました。

 

人生案内 夫に親孝行を控えてほしい

 50代後半の主婦からの相談。夫は両親を大切にしており、父の日や母の日、誕生日や長寿祝いには両親の家に行こうと言い出しますが、私はそれで不安定な気持ちになります。私の両親はすでに亡くなっておりますが、十分な親孝行ができなかったという思いがあり、さらに夫は私の両親の命日を忘れているのです。ひがみのような気持ちが消えません。これを夫に伝えていいものかどうか悩んでいます。

 作家の久田恵さんの回答。お気持ちは察しますが、それはあなた自身の問題です。自分は親孝行できなかったから夫には控えてほしいというのは筋違い。たしかに、ご両親の命日を忘れられてしまっているのは問題ですが、今親孝行につき合いたくないと思っているあなたとではどっこいどっこいです。亡くなったご両親は、あなたの幸せを願っていたはずですし、夫に協力する優しさを願っているのではないでしょうか。今の幸せを大事にメンテナンスしてください。

 この相談者さんのような気持ちは、万人に受け入れられるものではなさそうですが、理解できます。もちろん身勝手な思いではあるのですが、身勝手な思いを抱くまでの事情を知ると見え方も変わる、ということも多くあります。上手く心に折り合いをつけて夫婦仲良くやっていってほしいですね。

 

おわりです。

2017年4月27日の読売新聞の感想

さて書くか、と思ったらもう前に書いてから10日も経っていました。4月はいっぱい書けると思っていましたが、時間があるだけでは書けないものですね。

 

カードローン融資制限

 近頃、カードローンの融資残高がとっても膨らんでいるそうです。2016年末時点で5兆4377億円、これは前年度の1.1倍にあたるそうです。その原因として指摘されているのが、銀行のカードローンには融資の規制がないことです。それはつまり借りたいと言ってくる人にはいくらでも貸せるということです。消費者金融などでは、利用者の年収の1/3を超えて貸し出すことはできないというルールがあります。金利も若干消費者金融より安いので、利用者が気軽に使えてしまうという現状なんだそうです。

 銀行が融資することは、消費者金融の融資とは意味が違うとして金融庁は法規制に否定的だそうです。一方で、日本弁護士連合会の人たちは、法規制しないと苦しむ人は減らないと主張しています。

 銀行の融資が持つ特別な意味がよくわかりませんでした。やってることは消費者金融と同じなので。でも、仮に僕の知らない重要な意味があるとしたら、一番に問題視されるべきは利用者の姿勢ですよね。どこかの復興相ではないですが、こればかりは自己責任論を免れないと思うのですが。年利数%~15%なんて、100万円借りたら15万円も加えて返さないといけないんですよ。やむを得ず必要になる場合があるのは理解できますが、そのようなものを年収の半分以上も借りちゃうなんていうのは、使い道を再考することをまず考えるべきでしょう。

 

おわりです。

 

 

2017年4月17日の読売新聞の感想

読売歌壇・俳壇

 今週はこの歌が好きでした。

 もう夢も希望もないと云ひながらデパートにきて口紅を買ふ

 (下関市 磯部喜佐子さん 選者:小池光さん)

 もう夢も希望もないのに、おしゃれに使う口紅を買う。一回で使い終わるわけでないので、将来に向けた行動ともとれる。こういった矛盾こそ、人生、といった感じがしてとっても好きでした。

 

 俳句はこれが好きです。

 雨が雪雪が雨へと春隣

 (札幌市 関泰輔さん 選者:宇多喜代子さん)

 僕も北海道生まれなので、この感じがよくわかります。3句目は、僕だったら「春となり」とひらがなにして、春になって、と春がお隣に、という掛詞にしてしまいます。ダジャレ好きなので。

 

おわりです。

2017年4月15日の読売新聞の感想

自動運転 止まらず追突

 千葉県八千代市の路上で、日産自動車の試乗車が人身事故を起こしていたそうです。試乗の際、販売店の店員とお客さんが乗っており、お客さんが運転していました。自動ブレーキ機能を備えた車で、それを体験してもらうべく店員さんは「ブレーキを踏まずに我慢してください」と指示。お客さんは言うことを聞いてブレーキを踏まずにいたら、自動ブレーキが作動せずに追突し、前の車に乗っていた夫婦に軽いけがを負わせたとのことです。

 運転者のお客さんは過失運転致傷、店員さんは業務上過失傷害でそれぞれ書類送検されたそうです。警察は、基本的にこのようなケースでは「事故の責任は運転者にある」とする通達を出しています。

 僕がお客さんの立場だったら、勘弁してくれよ、と思います。しかし、運転席に乗ってる人が責任を負うというのもまた、妥当だと思います。自動運転車に関する法律がまだ整備されていないのと、自動運転車が発達し切っていないので、こういう事故は結構起こると思います。車を買う予定はないのであまり関係ないですが、なるべく試乗したくないなぁと思いました。

 

おわりです。

2017年4月12日の読売新聞の感想

4月は割合時間が取れて感想を多く書けそうだと思っていましたが、なかなかかけずもう12日になってしまいました。

 

コンビニでの粋な計らい

 埼玉のお母さんからの投稿。四月から小学生の娘はおつかいに凝っている。ある日マンション内にある小さなお店に、ごま油を買いに行ってもらったが、なかなか帰ってこない。心配で家を出ようとしたときに帰ってきて、事情を聞くと、「お店になかったので近くのコンビニまで買いに行った」という。レシートを見ると「不足分51円」と書いてあった。代金が足りなかったが、娘にごま油を持たせて店員さんが立て替えてくれたようだ。そんな粋な計らいに、気分が晴れやかになった。(立て替えてもらった分はちゃんと返しに行ったそうです)

 なかなかいい話です。実は僕も同じような経験があります。小さいころ、20円を握りしめて近くのコンビニへ。うまい棒を二本買おうとしたら、お会計金額は21円。1円足りない。消費税のことがわからなかったのです。うろたえてしまった僕をみて、店員さんが「ちょっと待ってね」と言って奥へ引っ込み、財布から1円を持ってきて出してくれました。あのお兄さんはいまどうしているのか、少しだけ気になります。

 

古今をちこち 江戸期の婚礼 開始は夜

 日本史家、磯田道史さんのコーナー。江戸期の婚礼について書かれていました。磯田さんは、小学生の時から古文書を見ているので、紙質と書体を見ると書かれた年代が大体わかるそうです。

 書かれていた江戸期の婚礼には、ツッコミどころが多かったです。

  • 夜に嫁を迎えに行き、お餅を搗く。→子作りのさまを餅つきで表現しているそうです。
  • 介添え人を隣に置いて(つまり監視下で!)初の営みをする(『婚礼罌粟袋』寛延3年)
  • 夫婦の営みの部屋に「犬張子」という箱がおかれ、「是は婚礼調(ととのう)翌朝、白紙に紅などつけなどして、舅の方に送る」(『婚礼図書』江戸中期)→ちゃんとできたか、出るはずの赤いやつを付けるみたいです。

 とんでもないですね。出るはずの赤いやつが出ない人もそう少なくないそうなので、なんか無用ないさかいが起きそうな風習です。まぁ、現在の私たちの風俗も、後世から見ればかなりおかしくみえるかもしれないので強くは言えないところです。

 久しぶりの更新なのにエッチな話でごめんなさい。

 

おわりです。