読売新聞の感想

読売新聞を読んで思ったことを書きます。

2017年6月17日の読売新聞の感想

性犯罪を厳罰化 改正刑法成立

 性犯罪の厳罰化が盛り込まれた改正刑法が成立したそうです。大きな問題点とされていた親告罪の撤廃がなされ、被害者の告訴なしに刑事事件化ができるようになりました。被害を受けてなお、大変な思いをして裁判を行う必要があった状況が改善されます。法定刑も、下限「懲役3年以上」から「懲役5年以上」に引き上げられます。

 性犯罪の厳罰化は大いに賛成です。個人的な感情では、もっと厳しくしてもいいのではないかとも思っています。

 ニュースそれ自体は、あーなるほど、といった感じなんですが、このような話題になると決まって以下のような意見が取り上げられます。

性行為では相手の同意や意思の尊重が大切なことをきちんと教えないなど、教育現場の取り組みが不十分だ 

  教育現場とは何を指しているのか、ここでは明確ではありませんが、学校のことと想定します。こんなことを、学校の取り組みの責任にしていいのでしょうか。しかも「性行為では」などという言葉までつけて。何においても相手の同意や意思の尊重は大切なので、それを性行為にフォーカスして教えろ、と教育現場に要求するのは間違っていると思います。国民の大多数が同じような義務教育を受けており、大多数が性犯罪を犯していない現状に対して「教育が不十分だ」と言うのは、「なんでもいいからどこかに責任を負わせたい」という考えに基づく乱暴な意見に思えます。(一応ですが「大多数が犯していない」の根拠を示します。新聞から読み取れたのは、「2013年に送致された強姦事件は888件」というところです。潜在強姦事件がその10倍あるとしても全国民の0.0x%/年にすぎません)

 だからと言って、どうすれば事件を減らせるかといえば効果的な具体策を出せません。やはり、人が各々被害者になり得ることを想定して危険な目に遭わないように気を付けることしか、意識的にはできないのではないでしょうか。それこそ、共謀罪ではありませんが内心の自由を奪うような法律で罰していく、くらい異常なやり方を取らないと、「教育現場の責任」論者の望むような未来はやってこないと思います。

 性犯罪許すまじ、というのは根底にありますが、その責任の所在、取り組みの方向性をとりまちがえると、あまり幸せな結末にはならないのでは、という話でした。

 

おわりです。