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読売新聞の感想

読売新聞を読んで思ったことを書きます。

2017年5月13日の読売新聞の感想

ミサイル防衛 新装備

 日本政府は、ミサイル防衛設備として「イージスアショア」(陸上型イージス)を導入することを決めました。韓国で取りざたされているTHAADよりも安くあがることや、運用で懸念されるトラブルもより少なそうであることが決め手だそうです。

 THAADで日本全土を防衛するには6基(1250億円/基)に対し、イージスアショアは2基(800億円/基)で済むそうです。THAADが移動可能なのに対して、イージスアショアは固定式というデメリットはあります。また、THAADは強い電磁波を発するレーダーを首都圏に設置する必要があるため、市民生活への影響が懸念されること、中国やロシアがTHAADの強力なレーダーで軍事活動が監視されると主張することなども問題となるそうです。(実際に韓国でそういう問題が生じているとのことです)

 イージスイージスとよく聞きますが、その実態はよくわからないので調べてみました。

  •  イージスの名は、古代ギリシャ神話のゼウスが娘アテナに与えた盾の名前(Aegis)の英語読み。
  • かなり高性能な防空システムのこと。レーダーシステム、情報処理システム、ミサイルなどの攻撃システムが連結されたもので、攻撃に対する迅速な応答が可能。前時代のシステムでは意思決定が人間に依存していたため、応答時間が長かった。
  • 多数の目標に同時に対応することができるので、防御能力が高い。

ということで、すごい防空システムのことと思っておけばいいのだなぁということがわかりました。緊張が高まってものものしい装備が導入されなければならないのは、怖いですね。

 

新種人類 現生人類と共存?

 2013年にヨハネスブルク郊外の洞窟で発見された新種の人類化石が、約25万年前のものとわかったそうです。南アフリカのウィットウォータースランド大学などの研究チームの成果です。

 現生人類がアフリカで出現したのは約20万年前とされており、それよりちょっと前の化石ということになります。ホモ・ナレディと名付けられたその種は、現生人類の1/3程度の脳容量で、身長1.5 m、体重45 kgほど。現生人類よりはるかに古い猿人、原人の特徴をもっているため、発見当初は250万~280万年前の化石ではないかと思われていたそうです。

 この発見は、人類が進化する過程で多様な種類の人類が共存していたことを強く示唆するものだそうです。

 原始的な民族浄化的意識が、ホモサピエンスのみが残る今の状態にしていったのでしょうか。それとも、ただ単にホモサピエンスしか環境に適応できなかっただけなんでしょうか。あまりよくない考えですが、似てるけどちょっとだけ違うものって少し気持ち悪いので、人為的な人類選別が行われた過去に一票を投じたいですね。

 

化学会 初の女性会長就任へ

 日本化学会の次の会長が川合真紀さん(分子化学研究所所長、65歳)に内定したそうです。女性会長は初とのことで報じられていました。専門は表面科学だそうです。

 一応自分も化学会に所属しているので、新聞に記事が載ってておっと思いました。

 

絶滅危惧種 iPSで守る

 鹿児島は奄美大島絶滅危惧種アマミトゲネズミのiPS細胞から卵子精子を分化させることに成功したそうです。宮崎大学の本多新研究員のチームの成果です。この成果は、絶滅危惧種が仮に絶滅したとしても、復元できる可能性を示しており画期的だそうです。

 絶滅危惧種のiPS細胞をつくる取り組みはこれまでもなされていましたが、生殖細胞はこの発表が初だそうです。今後受精卵や個体をつくる方向で研究していくようです。また、アマミトゲネズミの雄は普通の哺乳類の雄のようにY染色体を持たずどのように性別が決まるかがわかっていないので、その解明にも役立つみたいです。

 すごい技術だなぁと思いました。ただ、絶滅危惧種保全はそこまでしてやるものなのか、という疑問があります。

 種が絶滅するのは、環境に適応できないからです。人間が繁栄を極め、環境を次々につくり変えているせいで絶滅する生物がいるということは事実です。しかし、環境に適応できずに消えてしまう種がいたとして、それを守ろうと手を加えて生き残らせても、その種はちゃんと生きられないのでは?

 生物多様性の意義の議論にはさまざまな立場がありますが、「人為的な環境の変更がよくない」という立場が存在します。この人為的な環境の変更と、隕石が突然降ってきたり火山が大噴火したことによる環境の激変とに大きな違いはないと僕には思えてしまいます。先に述べたような立場の論者は、人間による開発が多くの生物の死を生んでいるという罪悪感からそう主張しているのではないかと推察できます。しかし、人間が環境に与える影響をこれから0にすることは不可能だし、これまでに与えた影響をすべて元に戻すこともできません。今の環境で生きられなくなった種を一生懸命保全しても、それはそれで不自然では?そもそも環境を変更しながら開発された技術を集めて保全活動を行うよりも、技術を開発しないほうが保全に寄与するのでは?

 また、別の立場として「生物多様性の減少が私たち人間に思わぬ影響を与えることが懸念される」という論もあります。こんなのも大きな違和感があります。

 もちろん、環境負荷を減らす努力をすべきであるというのはその通りです。僕が言いたいのは、「種が絶滅するのは我々人間のせいなんだからその責任をとって保全もしましょう。その方が私たちにも有益だし」という考え方が傲慢だよなぁと思うということです。生き残らされた種は、絶滅しそうだったわけですからかなり生きにくいわけです。でも生き残れてよかったねなんでしょうか?

 環境保全活動は必要だしできる範囲で協力したいと思いますが、よく言われているその意義に僕が完全に納得することはないと思える、という話です。

 

おわりです。