読売新聞の感想

読売新聞を読んで思ったことを書きます。

2016年9月9日の読売新聞の感想

すこし長く間をあけてしまいました。

ワンセグ受信料 徴収継続

 先のさいたま地裁の判決を受けて、NHKは見出しのような方針だそうです。これまでワンセグを区別せずに契約してきたので判別が困難というのがその理由です。自己申告の真偽の判別も難しいからそういうことになっているのでしょう。記事中には、来年度の受信料値下げを検討しているとも書かれていました。

 今にして思えば、そういう裁判が今頃行われたのって遅いよなぁという感じですね。それは国民の多くが事なかれ主義だったってことなんでしょうか。アメリカだったら一瞬でそういう裁判起きただろうなと思います。値下げはしてもらえるとありがたいですね。

 

医療ルネサンス 患者学 群大手術死の教訓 3⃣/5 適切なカルテは命綱

 群大手術死事件の原因の一つにずさんなカルテの管理があったそうです。遺族が入手したカルテには、当時の医師の説明には無かったことや食い違っていることが書かれていたり、手術の計画だけが書かれており実際に現場で行われた処置に変更があったときにその記載がなかったりなど多くの問題があったそうです。

 あるだろうな、というのが第一番の感想です。大学院で研究していた時に、当然ながら実験ノートを用意して実験内容を記すことになっていました(なっていたという言葉はあんまり適切でない気もしますが)。僕は割合怠惰なので、そういう記録を怠りがちでしたから、後々困ることもありました(細かい条件を書き漏らしていたためにやり直したりとか)。完全に税金の無駄遣いに貢献してしまっていたので反省しなくてはなりません。

 それと同じようなことで、目の前に処理しなければならないことが多くなると記録を怠ってしまいがちになると思います。群馬大の場合は、医師がかなりの激務だったということですが、そういったときに真っ先にないがしろにされるのは記録だと思います。

 この事件の場合、記録がずさんだったというのも問題ですが、僕が一番問題だと思うのはカルテの記載と医師の説明が食い違っていたということです。やっぱりそれはなんらかの意図が働いてウソをついたということですから、そればかりは許してはなりません。記事には、「カルテに予断を許さない、と書かれていたのに医師からは回復状態にあるので大丈夫ですよと説明された」という例が書いてありました。

 僕も会社で仕事をするようになって、いつなにをしたかというのをいつでもわかるように記録するのは非常に重要だということを痛感してきちんと記録ができるようになってきました。人は成長するものですね。

 

「できない」をやめよう

 パラリンピックの開会式にあたって編集委員結城和香子さんの文章が載っていました。障害とは、「できないと思うこと」ということが主題でした。そこに紹介されていたパラリンピックの選手の発言がすばらしかったので引用します。

「僕は自分を障害者とは思っていない。例えば、高齢で体が動かなくなる。視力が落ちる。皆はそれを障害ではなく、老いという自分の一部だと考える、それと似ている。例えば心に問題を抱える人がいる。内在するものは見えにくく、人は皆、何らかの障害を抱えていると言ってもいい。大きな違いはないと思うのです」 

  「障害」とはそれを障害と決める人や仕組みがあって定義されるという考え方もあります。物事をやるときに「できないと思うこと」を乗り越えるのが一番大変だなぁというのがこれまでの人生で実感を伴ってわかってきているので、それとも共鳴しました。

 最近新しいことをいくつか始めているのですが、それにあたって一つ気づいたことがあります。それは、東京っていいなということです。理由は単純に人がいて、仕組みがあるからです。何かやりたい、と思ったらもうすでに集まってやっている人がいたりするので何かを始めるハードルが低いんです。東京に住んでおよそ8年になりますが、やっと気づきました。これまでの8年はもったいなかったとさえ思います。

 

私立保育士に月1万円 世田谷区が来月から

 私立の保育士は給与が低い傾向にあり、その対策として世田谷区が給付を始めるのだそうです。東京23区内では、住宅補助などの前例はあるものの、現金を独自に給付するのは珍しいそうです。保育士は自治体での取り合いが激しくなっているそうです。

 1万円あげるより住宅補助のほうがよいんじゃないの?と思って調べてみたら、世田谷区はすでに家賃補助(上限82000円)を行っており、それに加えての試みだそうです。

www.city.setagaya.lg.jp

 とてもいいニュースですね。

 

おわりです。