読売新聞の感想

読売新聞を読んで思ったことを書きます。

2016年3月27日の読売新聞の感想

滞る交付 自治体悲鳴

 マイナンバーカードのことです。いろいろトラブルが続いて交付が遅れているみたいです。さばく量が多すぎて、システムがついていけてないようです。

 僕は運転免許を持ってないので、携帯に便利な顔写真付き身分証明書がありません。マイナンバーカードはそれを打破する希望の光だったのですがまだ時間がかかりそうですね。気長に待つことにします。

 

給付型奨学金 政府活発に議論

 返済不要の奨学金制度の検討が与党内でなされているそうです。現在の貸与型奨学金では08年度以降30万人以上の滞納者がおり、クレジットカードの利用制限などを受けているそうです。これについて、「若いうちからの負担が重すぎる」といった貸与制度への疑問の声があることも書かれていました。与党の奨学金に対する考え方は、他党の主張に比べると見劣りする面もあるため、選挙の争点となった場合少々不利になる可能性があると指摘されていました。

 このあたりの議論については僕は思うところがあります。今現在、自分の学生生活を振り返ると、奨学金の貸与がなければ成り立ちませんでした。借りた金額は安いとはいいがたいものです。もちろんこれの返済義務がなくなればそれはうれしいですが、給付にしようというのはちょっとわがまま言い過ぎなのではと思います。

 こういう話になると海外の例を持ち出されることが多いですが、それは議論が飛躍しています。海外ではそれを成立させるための負担がどこかにかかっているはずで、それを無視してよいところだけを抽出した議論になってしまっています。

 若いうちからの負担が重いということが言われていますが、そんな感情論でお金は発生しません。そもそも、奨学金の返済義務を負った人は奨学金がなければ学校に通えなかったわけです。学校に通ってさんざん学んでおいて、その費用の負担はしたくないというのはムシが良すぎます。逆に、若いうちに学ぶ機会を与えてくれた奨学金に感謝するべきです。

 滞納者が多いのは、負担が不当に重いのではなく、滞納者がしっかりしていないからです。借りる前にきちんと考えていないからです。お金がないので進学を諦めるということも選択肢に入れた上での結果なのでしょうか。その「重すぎる金額」を借りることを選んだのは本人です。もちろん卒業後仕事がないとかそういった社会的事情はあると思いますが、そのしわ寄せを金貸しが被るというは変です。

 僕が懸念するのは、国が給付型を拡充することによってこれまで通り貸与を受けられなくなってしまう人がでてしまうことです。つまり、きちんと借りてきちんと返すつもりのある学生でも、予算の関係上借りられなくなってしまう可能性があるということが気になるのです。

 学びにかかるお金は少ないほうがいいという理念と、学びにはお金がかかるという現実の乖離がはなはだしいです。政策はうまくバランスをとって実現しなければならないから難しいですが、一部のわがままに惑わされるようなことがないようにしてほしいです。

 

おわりです。